aurora Sample

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 起床時間を知らせる目覚まし時計のアラームを布団の中から手を伸ばして止める。
 起きなくては、と思うものの、いつもより身体が重く、すぐ動く気になれなかった。
 それでも仕事に行かなくてはいけないので、上半身を起こして固まった身体を伸ばす。
 サイドボードに置いた眼鏡をかけ、そこでようやく部屋に漂ういい香りに気付いた。
「……?」
 包丁の音が微かに響く中、首を傾げてすぐに思い出す。昨夜、一人の家出少年を拾ったことを。そして荒れ果てた自宅を一回り近く年下の少年に怒られながら掃除をしたのだと。
 どうりで身体が重いはずだと思いながら、のそりとベッドから降りた。
 いつものように脱ぎ散らかした服を踏むこともなく、ドアだってスムーズに開く。あぁ、まともに床を見るのはどれぐらいぶりだろうか。
 寝室から出てリビングに顔を出せば、食欲をそそる匂いがグッと強くなる。味噌汁と魚の焼ける匂いにぐぅ、とお腹が鳴った。
「オニーサン、おはよう」
 自宅のキッチンに誰かが立っているのが不思議で、ぼんやりと料理をしている少年の姿を眺めていると、こちらに気付いた少年がニカッと笑う。
「……おはよう」
「寝癖面白いことになってるぜ? 朝飯まだだから先に直してきたら」
 クスクスと笑いながら告げられる言葉に、恥ずかしくなる。昨夜は慣れない掃除に疲れ果て、髪をきちんと乾かさずに寝てしまったのだ。
 そうするよ、と少年に返して洗面所に移動すれば、久しく使っていなかった洗濯機が動いている。なんだか色々申し訳ない気持ちになった。今、どれだけ自分の生活能力が低いかを思い知らされている。
 ため息を落として鏡を覗き込めば、寝癖は思っていた以上に酷かった。あちらこちらに飛び跳ねる髪の毛に、いちいち直しているより、洗った方が早いな、とシャワーを浴びることにする。そのまま風呂場で髭剃りと歯磨きを済ませてから上がり、バスタオルを腰に巻いてもう一度キッチンに向かった。
 冷蔵庫を開け、水のペットボトルを取り出して口にする。思ったより喉が渇いていたようで、それはあっという間に空になった。空になったペットボトルを捨てようと振り返れば、少年がマジマジと僕の身体を眺めている。
「……どうかした?」
 何をそんなに眺めているのだろう、と少年に尋ねる。見られて恥ずかしい身体をしているつもりはないが、あまり気持ちのいいものではない。
「いや、オニーサン、見た目のわりに結構筋肉ついてんだなーと思って」
 そんな風に言いながら少年はぺたりと腹筋に触れた。風呂上りの火照った身体には冷たい手に驚いて身体が大きく揺れた。
 おぉ、すげぇ、なんて言いながらぺたりぺたりとあちらこちらを無遠慮に触ってくる少年の手を掴む。
「冷たい」
「あぁ、ごめん。水で手洗ったばっかりだった。もう出来てるから着替えてきたら?」
 わかった、とひとつ頷いて寝室に戻って服を着る。リビングに再び顔を出せば少年がすでに席についていた。
「先に食べててよかったのに」
「飯は一緒に食べた方が上手いだろ」
 僕が席につくのを待ち、いただきます、と手を合わせた少年に続いて、僕も手を合わせてから少年の手料理を味わうのだった。




 *

 少年との出逢いは昨晩のことだ。
 仕事からの帰り道、オニーサン、と声をかけられた。
 大きな荷物を抱えていることから、この辺りの人ではないのだろうと予想がついた。道を聞きたいのかと足を止めれば、少年はニコリと笑って口を開いた。
「オニーサン、俺のこと拾ってくんない?」
 その言葉に、僕は話を聞く気にもならず、踵を返して再び自宅に向かう。
「あ、ねぇ、待ってよ、オニーサン!」
 少年が追いかけてくるが、それを無視して足を進める。無視し続けていれば諦めるかと思ったが、少年はなかなか諦めなかった。
 そのまま自宅に帰れば無理やり上がりこまれそうだったので、自宅近くの公園で足を止めて、振り返る。
「しつこい」
 息一つ乱さず、ついて来ている少年にそう告げれば、少年は、おかしそうに笑った。
「オニーサンいい人だな。とりあえず、一晩でいいから泊めてくんないかな。こんな子どもが外で寝て風邪引いたら可哀想だと思わない? もちろん、お礼はちゃんとする。金はないからカラダで」
「悪いけど、散らかっていて君に貸せる寝床はないし、そういうつもりなら他をあたって。そんな趣味ない」
 ムッと眉間に皺を寄せれば、違う違う、と少年が手を振る。
「俺だってそんな趣味ねぇよ。掃除、洗濯、料理の家事全般なんでもするぜ? 得意なんだ。だから部屋が散らかってても俺が片付けてやるから。それに寝る場所だって、どこでもいいんだよ。床とか椅子とか。あ、でも毛布とか貸してくれるとありがたいけど」
「――本当に散らかっていてもいいの? 掃除、洗濯、料理全部してもらうことになるけど」
「もちろん。オニーサン、一人暮らしだろ? 飯もある程度なら作れるから食べたいモン言ってくれりゃ作るぜ。味のホショーはする」
 自信ありげに胸を張る少年に溜息をつく。すると少年が表情を曇らせた。
「やっぱり、ダメ?」
「いや、いいよ。寝床は自分でつくって。あと、食材はないからスーパーに寄ろうか」
 不安げに尋ねてくる少年にそう告げれば、曇っていた少年の顔がパッと明るくなる。
「やっぱオニーサン、いい人だな!」
 俺の目に狂いはなかった、と大げさに喜ぶ少年に思わず苦笑を浮かべる。そんなに喜ばれると少しだけ申し訳ない気持ちになる。僕はただ、家事全般をしてくれる、という彼の言葉につけ込んだだけなのだ。
 僕は家事が壊滅的だった。今も自宅は足の踏み場もないくらいに散らかっている。
 どうせ自分しかいないのだから、と仕事を終えてから掃除をする気にもならず、休みの日にまとめてやろうとしてはその汚さを前に何からしたらいいのかがわからなくて、結局はそのままになってしまうことがほとんどだ。
 元々人を自宅に招くのは嫌いなのだが、一晩泊めるだけで、あの汚い自宅がある程度でも掃除してもらえて、ご飯までつくってもらえる。そういうのなら招くほかはない。僕はちゃんと念を押して散らかってる、と告げたのだし。
 そうやって自分を正当化して僕は、行こう、と少年を近所のスーパーに案内した。



以下本文にて・・・